※先日私がupした絵をご覧下さり それを元に書いて下さったSSとのことです (小×政)



 その日、執務中の政宗は、暑さと退屈に、半ば心折れかかっていた。
外は夏の空、蝉の声はまだ聞こえていないが、風はなく、物陰に居てもじっとりと汗が吹き出てくる。
こんな日は外で思い切り鍛錬するか、領内を馬で見て回るか、動き回っていたいものだが、政務の書状はそんな我儘は通らないとばかり、なかなか盆の上よりなくならない。
 先程まで逃げぬようにとばかり後ろに控えていた小十郎は、冷ました麦湯でも、と、取りに行ったきり戻らない。
しんとした部屋、墨の乾いてゆく匂い、重たくなってくる着衣、眠気よりも苛立ちを誘う日陰で、筆を持つ手も億劫になってきた政宗は、ふ、と、視線のようなものを感じて、首を左に捻じ曲げた。
 誰もいない。
部屋は小十郎がいなくなった時の儘に、落ちているのは傾いた光が一隅に落とす蔀戸の影だけだ。
人が隠れているような風もないが、誰かが政宗の背をじっと見ていたようであった。そう思った。
 武田の忍――いや違うか。
忍の殺気や、様子をうかがう間を伴っていれば、首を曲げるだけでは足りず、反射的にそちらに向き直っていただろう。
しかし部屋の中には、間違いなく、政宗一人きりだ。
 暑さのせいで、何か虫でも飛び込んだのを、勘違いでもしたのだろうか。
いや、それにしては、気配が大きかったような気がする。
成実ならこんな時間に来ねえし、綱元は――ああ、自領に戻ってていねえな――
ましてや小十郎の筈もない。書類終わるまで遊びも悪戯もないだろう。
 解せぬまま、首を元に戻し、これを終えたら一旦筆を置こうと腕を動かしだした時、また、背後で蠢きがあった。
今度は、二つ……?
先程とは角度を変えて傾いでみたが、やはり、部屋には何もない。
政宗の眉根が寄った。
 今この部屋にある家具は、蔓草模様をあしらった小さな箪笥ぐらいのものだ。今の政宗の座る位置から死角に当たるのはそれくらいしかない。
あの影に――?
かといって態々立って言って、転がっていたのが黄金虫、ぐらいであったら興ざめだ。
「餓鬼なら蝉でも甲虫でも遊ぶんだろうがな――」
 見つける競争、よくやったっけな。鳥もち使って取ろうとして、成の奴とふたりでべたべたになって、小十郎に説教くらいながら風呂入れられて――
 冷やした瓜を食べた後、いつの間にか転がって寝ていたり、泳ぎに行きたいと駄々をこねて、行水で我慢しなさいと怒られたりもした。
子供の夏の他愛ない思い出にやや遠い目になりかかったが、仕事に戻る振りをして背を向けると、やはり、背後で何かが動いた。
今度は――六つ?
気のせいではない。後ろに誰かが、或いは何かがいるのだ。
「――誰だっ!」
 筆を、からり、と、硯に離し、急ぎ振り返って一喝する。
小さなちいさな気配が、さっ、と、四散した。
羽虫の類ではない。青いのと赤いのと――緑っぽいのもいたよな。何だ、あれは。
多くは開けた部屋から飛び出て行ってしまったが、箪笥の影に引っ込んだ物も間違いなくあった。
 もう仕事どころではなく、得体の知れない物の正体を見極めるべく、政宗は立ちあがって、つかつかとそちらに向かった。
見逃さねえぞ、と、箪笥ごと縫いとめるような視線の先にあったものは――
「――何だ、こりゃ」
 人形?
それはどこか、この場にいない男に似ていた。
ちんまりと、座っているのは、布でできた、小十郎の陣羽織姿を模した人形のようであった。
近づいてみたが、人形は動かない。
 何だか、覚悟を決めて待ち受けているような印象のあるそれが、本当に、良く知る男に似ていて、政宗は思わず、小十郎?と呼びかけたい気持ちに駆られながら、その人形をそっと拾い上げた。
これが成実辺りに似た人形だったら、単につまみ上げていたかも知れないが。
「――Hum――」
 南蛮の、羅紗布に似たような布地で出来ている。目は黒い石のようなものが二つ、口はない。
ふっくらした人形はしかし、髪型や、陣羽織の縫い目など、見れば見るほど、片倉小十郎を再現したようで、見つめるうちに、口元が緩んでしまう。
こいつを作ったのは誰だ、侍女か、軍の誰かか、器用な奴もいるだろう。
眉間の皺も寄っているが、ふっくらした詰め物が作る顔つきがそれを裏切っていて、少しずつすこしずつ、笑いがこみあげてくる。
 似ている。黙って見ていると、今にも、『政宗様』と、呼びかけられそうだ。
口がぱっくり開いたら、あいつよりおっかねえかもな……。
耳朶を弄ってみる。柔らかな、すこしけばが立った布は良い触り心地で、ふっと、この時期にしか口にできない桃の手触りを思い出した。
心なしか、顔も、桃――いや、葛とかで作った饅頭か。食べてみたくなるような可愛らしさだった。
良くできている。実に、小十郎そっくりだ。
この顔であの声を出されたら物の怪だろうな、などと思いながら顔を寄せる。
 小さな耳朶もついていた。
時々、閨で絡まり合うように過ごす時、小十郎の耳朶を弄うこともあるが、くすぐったいのかてれ隠しか、あまりじっくりと攻めさせてはくれない。
寧ろ頤から脚の先に至るまで舐られて――って、昼から考えている場合でもない。
 そう思いながらも、そっと顔を寄せ、濡らさぬよう注意しながら、唇の間に挟んでみる。
柔らかく、嫌な匂いはしなかった。
やわやわと唇を動かすと、布が縒れたからか、人形の小十郎の口元が膨らんだかのように見えた。
気持ちいいか、小十郎――?Ha!なんて、な。



陣羽織は脱がせられるだろうか。
下――ついてんのか。いやそこは問題か?でも気になるぜ。
 いっそ、これは剥ぐだけ剥いじまうか。人形だって暑いかも知れねえし。
そう思いながら見れば、何となし、丸い目が焦っているようにも見えて来た。
小十郎が、焦っている。
…………可愛いじゃねえか…………っ!
胸の奥がきゅうっ、となる。
 この時点で、他にも気配があったことや、何故この人形がこんな場所に転がっているのか、等といった事は、政宗の頭の中からきれいさっぱりと消え果てていた。
もう一度、耳を弄う。むにむにと動いた人形の顔に微笑みかけ、いよいよ、上着を脱がせにかかったその時――
「――何をしておられるのです、政宗様」
 普段なら飛び上がってしまいそうな胴間声が、背後からした。
振り返れば、本物の生身の小十郎が、何も持たず、こちらをねめつけている。
「お前、飲み物をって――あ、これ見てみろよ小十郎。お前にそっくりの人形が――」
 そっくりの人形、と、差し出そうとした塊は、むんずと掴まれた。
容赦のなさに、布地の小十郎がひしゃげそうになっている。顔も、心なしか、痛みに耐えているように見えた。
「――Hey,何しやがる。お前じゃねえか」
 言われて人形を見下ろした小十郎は、それをぽいっと、肩越しに、縁側より外に放り投げてしまい――
政宗は何故だか、酷く慌てた。
「あっ、小十郎っ!」
「小十郎はこちらにございますが。――益体もない人形遊びがなさりたいお子様は、お仕置きの時間が必要なようですね」
 何故だか不機嫌極まりない男に、むんず、と、腕を掴まれ、焦りが別の物に変化した。
人形の耳を弄っていたことが、まさか不満だったか?
「ちょっとまて小十郎、俺は――それよりあの人形――」
 今頃、その出どころとか、怪しい事を思いだし、政宗は小十郎に伝えようとしたのだが、完全に遅きに失した。
嫉妬の塊と化した恋人は、決して優しくはない。
というか、まさか、日のあるうちからか。
ちょっとだけ、腰骨がぐらっと来て、その間にひっぱられた。
焦りと、そうなったらなったで、という気持ちの間で今度は人形ではなしに、政宗の頬の方が震える。
まずい。思い切りされてみたい。
「政宗様……」
低い声に、身を震わせた政宗は――



「……政宗様っ」



 ――いつの間にか、政宗は小十郎の膝の上に、頭を横たわらせていた。
気遣わしげな顔で、額に冷たさが広がった所からすると、濡らした布を当てられたようだ。
陽射しは先程よりは翳っているようだった。空の青さがやや薄れている。
「こじゅろ……」
「お気がつかれましたか」
暑気あたりを起こされるまで、気づきませず、小十郎、不覚にございます。そんな言葉を聞きながら、周囲に目を遣る。
箪笥の影に、確か、人形が落ちていて――それを拾ったと思ったが。
「夢、か」
 ぽつりと呟いた口元に、かわらけが当てられる。
冷やされた麦湯は、口中に染みわたり、飲み終えた時には、ほうっ…………と、長く吐息が口から洩れた。
政務の途中で、暑さの余りに、妙な白昼夢を見たようだ。
それにしても、小十郎の人形の夢とは。それに小十郎本人も出て来たし。
俺の人生に一体何人、小十郎が出てくるんだ、と、くつくつ笑っていると、布を取った小十郎が、額に掌を当てて来た。
その感触もまた、心地良い。
 夢の布人形は可愛かったが、やっぱり、この男が一番だ。
耳朶を好きに弄らせてはくれないし、昼間からなど有り得もしない堅物であっても。
「まだ、お疲れのようですね――もう少し、麦湯を」
 大丈夫だと言っても聞かれないので、大人しく、膝枕で麦湯を飲ませて貰う。
子供の頃ならともかく、大人になってこんな甘やかしは珍しい。
普段なら気恥ずかしくて、起きておかなければならないが、夢の最後が少し惜しかっただけに、たまにはこんなのも良いと、政宗は、頭の重たさを小十郎の膝に委ねていた。
 ゆるゆると過ぎる暑い時間も、小十郎がいれば、幾分は涼しく過ぎゆくようだ。
やがて、三杯目の麦湯を干した後、政宗は腕を持ち上げて、小十郎の腕に触った。
「夢にな、お前の人形が出て来た」
「人形――にござりますか」
 当惑しながらも、面白くなさそうな小十郎の表情は、夢の中のそれと、殆ど同じだった。
黒い目の人形の顔は、次第にぼやけていたけれども、この顔は、夢でも現実でも、頭の中より消しされよう筈がない。
また、低く笑いながら、政宗は小十郎の袖を引く。
「小さいけど、耳朶は好きなだけ弄らせてくれたぜ?」
 ぷるぷると震える葛菓子のような動きを思い出して笑い続けていると、小さな溜息が上から降ってきた。
触れていた手を外させて、小十郎が握ってくる。
「お戯れもいい加減になされませ。暑気あたりなど払われたら、耳でもどこでも、お好きなようになさればよろしい」
「――本当かっ」
 がばっ、と、起きあがりかかり、少しくらくらする。
目眩をすかさず腕を捉えて、改めて抱え直しながら、再び小十郎が溜息をついた。
「やれやれ、仮病ではないでしょうな」
「聞いたぜ小十郎。否やは言わせねえからな」
 そう言いながら、今度は胸に横顔を押し当てて、政宗は相手を見上げる。
逆に耳朶の裏を、小十郎の指が擦って、汗の湿りを確かめるように、髪を梳いてくれる。
その心地良さに、政宗はうっとりと目を閉じたのだった。



 主は、眠ってしまったようだった。
仕方ない、と、小十郎は苦笑する。
根を詰めて頑張る主に、葛饅頭でも、と、思ったのだが、練るのに時間がかかってしまい、他に任せて麦湯を持ち戻ったら、伸びていたのだ。
 人形がどうとか言っていたが、暑気あたりの所為で、おかしな夢を見られたのだろう。
晩は、自然薯の良いのがあったら摺らせようか。精のつきそうなものを暫く見つくろわせるとしよう。
そんな風に見入っていた小十郎は、背後で何かが動いたような気がして、咄嗟に、先程まで政宗の額に置いていた布を取って、気配の方へと投げた。
 びたんっ、と、布地が当たる音が聞こえたが、振り向いて見てみても、何もない。
気のせいか――
俺も暑さでやられかかっているのかも知れねえ。政宗様を後でお起こししたら、湯でも浴びてさっぱりしよう。
再び、主の寝顔に目を戻した小十郎は、もう、こっそりと転がるように逃げてゆく青と茶の塊になど気づきもせず、たまにしか間近で拝めない、昼の寝顔に、暑さも忘れて見入るのであった。



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